冬の朝。リビングに差し込む柔らかな朝日と、湯気の立つ熱いお茶。
静かに過ごしたい休日の朝に、突然響き渡る声。
『かして!』『ダメ!!』『じゃあわたしのかさないよ!!!』『べつにいいよ!!!!』
今日も始まった、我が家の日常風景。9歳長女と6歳次女の喧嘩がスタートです。
喧嘩への対応 パパのスタンス
二人の喧嘩は日常茶飯事。
それもそのはず、力関係が拮抗しているので、どちらが泣いても不思議ではありません。
そして泣いた方がパパのところに『パパー(泣)』とやってきます。
そしてパパが泣いた娘をなだめて、言い分を聞いて…『そうかー仲良くして欲しいな』と言って、これで終わりです。
パパがジャッジをしない理由
喧嘩は子ども同士で解決する力を育てるチャンス。
泣いた娘の言い分は正しいかもしれないし、片方の偏った言い分かもしれない。はたまたウソかもしれない。
たとえ一部始終見てて知っていても、パパがジャッジをすることはありません。
パパは寄り添い役で十分です。
過剰な暴力さえなければ間にも入りません。過剰な暴言くらいじゃ、微笑んで見守っています。
喧嘩後の流れ 解決は本人たちで

喧嘩が終わっても、パパが仲直りを提案したりなどすることはありません。
再び娘たち2人で遊びたくなったら、仲直りすればいいし。
気分が乗らなければプンプンしたまま別々に過ごせばいい。
それで十分だと思っています。
放置していても、『さっきはごめんね』『これ一緒に使おう』と言って自然に仲直りしてます。
親が介入せずとも、子供は成長します。
ただし、口を挟む場面が全くないわけではありません。
時にはパパも介入
長女の「ごめんね(怒)」に対して
例えば、長女が「ごめんね(怒)!誤ったから謝って」と言って、次女がこれを無視。
そんな時は、長女にこう伝えます。
『そんな気持ちのこもっていない謝罪だったらしない方がいい』
感情に任せた謝罪では、相手には伝わりません。謝罪の大切さを教えるのは、パパの役目。
次女のちゃちゃ入れから始まった喧嘩
つい先日も、長女が泣いているところに次女が『なに泣いてるの?』
と少し小馬鹿にした様子で言ったのがきっかけで喧嘩が勃発。
ワタシは、まずいつも通り見守ることに
そしてそのまま就寝の時間になり、みんなでベッドに入りました。
すると、長女が泣きながら『ママに言うんでしょ(泣)?』と言ってきたので、
『言わないよ!だって2人は仲良しでしょ?』とワタシは返しました。
そう伝えた後、ワタシは「ちょっとみんなで話そう!」と提案。
家族3人でベッドに集まり、話し合いの時間を持つことにしました。
話し合いの中で、それぞれが自分の気持ちや行動を振り返ります。お互いに悪かったところを認めて謝れば、それで解決です。
子どもたちに「自分たちで解決する力」を育んでほしいと願いつつ、親としてのサポートは惜しみません。
時にはパパだって頼れる相談相手になれるんです。
夫婦も一緒 ルールは家庭それぞれ

娘たちの喧嘩の話ですが、この考え方は夫婦関係にも通じると感じています。
夫婦間で意見がぶつかった時に、第三者にジャッジを頼んだとしても、
それは「一般的な正解」であって、必ずしも我が家に合うとは限りません。
夫婦それぞれが築いてきたルールは、外の価値観では測れないものです。
夫婦はお互いに感謝や信頼し合ってなりたっている。
たとえば、ワタシの適当過ぎる所や、無関心な所は、ワタシへの『感謝』『信頼』によって認められ、許されている。
とワタシは一方的に思っています。※妻に確認はとっておりません。
最後に
娘たちの喧嘩を例にお話しましたが、子供も夫婦も『自分たちで築いていく関係』が大事だと思います。
親として、パートナーとして余計な介入をせずに見守る姿勢が愛情の一つです。
ワタシは本当にテキトーです。自分でも驚きます。妻にも多大な迷惑とストレスを与えていると思います。
妻から言われた事はできる限り改善します。ですが全部を改善するとそれは、もはやワタシではありません。
「人それぞれ」「家庭それぞれ」でいいんです。
今日も娘たちの喧嘩を背に、妻への感謝を胸に、にぎやかな我が家を見守っていきます!