たとえば…
江戸時代にタイムスリップして、その時代の住人として普通に暮らす。
…こういうのってちょっと面白いですよね?
特別なことをしなくても、仕事に就いて、日々を過ごすだけでワクワクする。
ゲームでも、単純作業をずっと続けちゃう感覚に近いです。
アクシデントがあっても、「イベント発生!」みたいな感じで楽しめる。
もちろん江戸時代なら、徳川家や坂本龍馬をプレイしたいところですが、
ワタシはごく普通の”町人A”です(笑)
そんな感覚で、ワタシは現代をプレイしています。
嫌なことがあっても、ダメージを受けるのは“キャラとしての自分”
だからちょっとだけ冷静に、ちょっとだけ軽く捉えられます。
ここまで読んでいただいて、ポカーンの方も多いと思いますが…(笑)
この記事を読み終わる頃には、人生というゲームをプレイ出来る…かもしれません。
では、お付き合いください!
自分をどう見るかで、人生は変わる
自分という存在を、どんな目線で見ているか。
実はこれ、人生においてものすごく大事なことなんじゃないかと、ワタシは思っています。
普通、自分は“自分”としてこの人生を生きてるはず。
でもワタシは、自分の人生をちょっと違う目線で見ている。
まるで自分の人生を“ゲーム”としてプレイしているような、そんな感覚です。
つまり、自分というキャラクターを操作して、どんな選択肢を選び、どう生きるかを考えているプレイヤー目線!
なので「自分として生きながら」「客観的にも見る」という、二重構造のような目線。
こんな感覚で生きてる人、けっこう多いんじゃないかと思っていたが現実はそうでもなさそう…
『なんでその選択をしたの…?』と感じる場面に出くわすたび、
『あぁ、この人は“自分目線でしか見ていない”んだな』と思います。
自分がすごいわけじゃない。ただ、本気でプレイしてるだけ

こういう話をすると、
『自分は俯瞰できている』とか『他人より一段上にいる』 みたいに聞こえるかもしれない。
だけど、ワタシ自身にそんな能力はありません。
むしろ真逆で、ワタシはどちらかというと『能力低めの普通の人間』です。
でも、だからこそ、自分のことを“プレイ”しています。
みんなが何となく生きてる場所で、ワタシは自分のことを必死に操作してる。
選べるスキルも、体力も、装備も大したことないけど、
それでも最大限の結果が出せるように、日々フルコンボ狙ってる。そんな感じ。
ゲームで言えば、初期ステータスが低いキャラを選んで、必死にレベル上げしてるタイプ。
最強キャラじゃないから、大変なんです。
プレイヤー目線がくれる“冷静さ”と“熱さ”
この『自分プレイ感覚』があると、何が起きても大丈夫。
たとえば失敗しても、「まぁ、今回はこの選択ミスったな」と冷静に振り返れる。
逆に成功すれば、「よし、あの判断は正解だったな」と喜べる。
つまり、失敗も成功も“演出の一部”として処理できるようになる。
感情に飲まれすぎず、でも冷めきりすぎもしない。
自分の人生に対して、どこかで“遊び”があるというか、“余白”があるような感覚。
そして何より、自分という存在に対して「ちゃんと責任を持てる」ようになる。
何が起きても誰のせいでもない、自分の選択の結果として生きているんだと。
さいごに
ワタシは、優秀でもないし、特別な才能があるわけでもない。
むしろ、運動センスも乏しく、物覚えも悪い。
でも、その“平凡なキャラ”を、全力で操作して生きている。
なので何かを習得しようとすると人よりも多くの時間と失敗を必要です。
これも自分の特性を理解しているので、
人より多くの時間を使い、人より多くの失敗をすれば良いのです!
それがワタシのスキルを習得する条件なので。
誰かの人生と比べて落ち込むこともありません。そんな時間はないからです(笑)
みんながテキトーにプレイしているところを、私はガチ勢として挑んでいるだけ。
そんな風に、自分を“プレイする目線”で見てみると、人生は楽しくなるし、
結果が出ると達成感もあります!
なので日々も頑張れるようになり良い流れができます。
だって日々、何も起きないゲームなんてやりませんよね!
皆さんのキャラも、とてもやりがいのあるキャラだと思います!
まぁそうじゃないにしても、もうキャラ変更は出来ません(笑)
せっかくなので一緒に楽しみましょう!