ワタシは仕事以外の時間、ほとんどを「パパ」か「夫」として過ごしている。
育児に家事に夫婦の時間、ありがたいことに忙しい日々。
でも、今回の土日はひさびさにまるっと2日間、完全に“ひとり”だった。
朝から夜まで、自分だけの時間。
食事も気ままに、昼寝したって良い。
好きなことを好きなタイミングでできる自由!
そんな“パパでも夫でもない自分”で過ごした二日間。
久しぶりに「ただの男」に戻ったことで、ふと気づいたこと。
それを今日は書いてみようと思う。
人は誰かといるから“誰か”になれる
妻がいるから、「夫」でいられる。
娘がいるから、「パパ」でいられる。
母がいるから、「息子」でいられる。
メチャクチャ当たり前のことだけど、
こうして言葉にしてみると、じんわり幸せな気持ちになる。
そして、その“誰か”がいてくれることに感謝したくなる。
日々の忙しさに追われていると、
そばにいる人たちの存在が、だんだん当たり前になっていく。
でも、思い出してみる。
夫になった日。パパになった日。
あの日は、どれもが感謝と幸せにあふれていた日だったはず。
誰かになることで、役割が生まれ、
その役割が、人生に意味と充実感を与えてくれている。
自由なのに寂しい

ワタシは1人時間が好きです!
ゲームや映画、散歩に入浴とワタシはきっと永遠に1人時間を堪能できます。
ですが永遠の1人時間を欲しいとは思いません。
1人時間なんてたまに…2日間もあれば十分です!
誰かになるというのは、面倒と感じてしまうこともあります。
夫になったら家事をします。パパになったら育児をします。
そんな時、自由な1人時間を羨ましく感じることもありますが、
いったん“誰か”としての時間を経験すると、
ひとりの自由では得られない充実感があることに気づきます。
誰かの居場所になる

“誰かの誰かになる”っていうのは、
その人にとっての「居場所」になることだと思います。
人は、帰る場所があるから頑張れる。
自分のことを受け入れてくれる場所があるから、安心できる。
パパや夫であることで、
ワタシは娘や妻の「帰る場所」になっているんだと思います。
そしてワタシ自身も、家族がいるからこそ、外で頑張れる。
どんなに疲れても、家に帰ればホッとできる。
人はこうやって支え合って生きていきます。
『人という字は・・・・。』
さいごに
なんか大層な感じで書きましたが、誰かの誰かになることは難しくありません。
コミュニケーションを取り、何度かやり取りを繰り返せば、もう誰かになっています!
とは言っても、ワタシはこれが苦手です。子供時代はほとんど友達もおらず暗い感じでした。
大人になり、人付き合いの大切さを学んだので大分意識は変わりましたが、苦手です。
でもそんなワタシでも、誰かにはなれてるので大丈夫です。まぁよくわかりませんが….
そんな感じで、ここまで読んでくれた、あなたはもうワタシにとっては誰かです(笑)
最後まで読んでいただきあありがとうございました!