子育ての答えはまだ出ないけれど、親にしてもらったことを振り返る

はじめに:親にしてもらったことを振り返る

子育ては正解があるようでないものです。

実際に子どもが成長してみないと、自分の選択が正しかったのかどうかなんてわかりません。

試行錯誤の毎日で、限られた人生経験と知識を総動員して子どもを育てている。

そんな中でふと、自分が親にしてもらったことを振り返ると、当たり前だと思っていたことの、ありがたさに気づくことがある。

自分が親に感謝していることは、もしかしたら子どもにも良い影響を与えられるかもしれない?

そう考えながら、改めて「親に感謝していること」について書いてみようと思います。

まずは基本の「産んでくれたこと」「衣食住を与えてくれたこと」

産んでくれたこと。

これがなければ、そもそもワタシは存在しません。

そして、衣食住を安定して与えてくれたこと。

これは憲法で定められた最低限の権利ではありますが、そのためには働き、お金を稼がなければなりません。

当たり前のように感じていたことも、子どもには見えない苦労がきっとあったはず。

ただただ感謝です!

放任されていたけど、それが良かった

4歳下の弟には門限などのルールがありましたが、ワタシにはなく、夜遅く帰ろうが朝帰ろうが、特に何か言われる事もなく自由にさせてもらっていました。

ワタシに無関心というわけではなく、信頼された上での放任だったのだと思っています。

確認していないので、もしかしたら単に放っておかれただけだったのかもしれませんが、

それでも「親が信じてくれている」と感じられたからこそ、何かあったときの責任は自分で取る、という意識で好きな事をしていました。

良い習慣を身につけさせてくれた

  • ハミガキ:歯は大事です。しないと気持ち悪くて寝れません。
  • 入浴:毎日入ります。心身ともにリフレッシュできます。
  • 身だしなみを清潔にする:清潔感さえあれば、なんとかなります。
  • 夜は寝る:睡眠は大事。毎日同じリズムで生活することが大切です。

これも多くの人が当たり前としてやっている習慣だと思いますが、子供が習慣づくまでは苦労しますよね。

ワタシも時には、娘に対して『まぁいいか』と思ってしまいます。

思うだけでちゃんとします。

親の習慣づけおかげで、睡眠をしっかり取り、歯を磨き、清潔感を出して日々生活しています。

歯はなくなったら治すのに多額お金がかかります。

睡眠不足は、色々悪影響を及ぼし、清潔感からワタシが得たものは計り知れないほどですが、きっと一番は妻です!

食事〜やっぱり母の味と父と祖父のスパルタ〜

トラウマにはならなかったものの、父の食事の教育はかなり厳しいものでした。

絶対に残すことを許さず、今では考えられませんが、残したら鉄拳制裁が待っていました。

そして、母方の祖父も厳しく、私が「ブロッコリーが嫌い」とわかるや否や、山盛りのブロッコリーを目の前に出してきました。

ワタシは泣きながらそれを食べたことを今でも覚えています。これが…トラウマ…!?

けれど、この二人のスパルタ教育のおかげで、今の私は嫌いな食べ物が一切ありません。

さて、ここからは明るい話を。

ワタシの母の料理はとにかく美味しかったです。

友達もよく「うちのご飯が食べたい」と家に来ていたので、決してワタシがマザコンなだけではないはず。

そんな美味しい家庭の味を日々食べる中で、ワタシは自然と「料理の味付け」を覚えていきました。

今、自分が家庭で料理をするとき、無意識に母の味がベースになっている気がします。

お金 〜親の使い方を見て学んだこと〜

ここに関しては、親が意識的に教育してくれたわけではないと思います。

ただ、ワタシは両親のお金の使い方をよく観察していました。

「外食は楽しいけど、一回5000円もかかるのか…」とか、「どうせすぐ飽きるおもちゃも、意外といい値段するな…」とか、

そんなことを考えながらも、しっかりおもちゃは買ってもらう。

なんともイヤな感じの子どもでした。

また、両親がいない日が多々あり、母が夕飯代として1000円を置いていくこともありました。

それを握りしめ、スーパーへ行き、なるべく安く済ませて残りをお小遣いにするという、したたかな節約術を実践。

さらに、家族旅行にワタシだけ行かないときには1万円を渡され、それでパンの耳などを買い、3日間を過ごしたこともありました。

こうして、お金の貯め方や節約の感覚が自然と身についたのかもしれません。

とはいえ、母は頼めばなんでも買ってくれる人でした。

もちろん、交渉は必要でしたが。

そして、母方の祖父も、ものすごく怖かったけれど、頼めばなんでも買ってくれました。

この経験が、「言いづらいことでも、しっかり伝えれば叶うこともある」という学びにつながった気がします。

旅行やイベントを大切にしてくれた

祖父が、旅行にたくさん連れて行ってくれました。

毎年のように海外にも連れて行ってくれ、おそらく訪れた国は10カ国ほど。

この経験はワタシにとって大きな財産です。

日本とは違う時間の流れや文化を肌で感じ、日本の良さを再認識しながらも、視野や考え方がどんどん広がっていきました。

今、ワタシが「家族を旅行に連れて行きたい」と思うのは、間違いなく祖父の影響です。

そして母は、誕生日、クリスマス、お正月などのイベントをしっかりとやってくれました

といっても、大掛かりなものではなく、プレゼントとケーキにローソクを立てる、いわゆる一般的なスタイル。

それでも、忙しい毎日の中でイベントを大切にするのは素敵なことですよね。

ワタシ自身も、好物のケーキを食べられるという理由もあって(笑)、必ずイベントはやります。

特に我が家の場合、妻の誕生日から始まり、1週間ごとに誕生日が続くという特殊なスケジュール。

1ヶ月でホールケーキを4つ買うことになります。

普段の生活だけでは、どうしても単調になりがちな日常も、ちょっとしたイベントを挟むだけで楽しくなる。

そう考えると、やっぱりイベントごとは大切だなと思います。

一人にさせてくれた

ワタシは子どもの頃、よく一人になりたがる子でした。

怒られたときは、押し入れやベランダにこもって、ひとりでいじけるのが定番。

そんなとき、母は無理に声をかけたりせず、ワタシが自分から出てくるまで待っていてくれました

この距離感がワタシにはちょうどよくて、一人になって考え、反省する時間が持てました。

時には、家を飛び出すことも。

夜な夜なこっそり家を抜け出して、公園に「家出」することもありました。

それでも、母は必ず見つけ出してくれる。

今思えば、ワタシは安全な範囲で「一人になる時間」を与えてもらっていたのだと思います。

そして、20歳になったら「家を出て行ってもらう」と言われていたので、そのつもりでした。

しかし、実際には状況が変わりました。

  • まず父はもともと家にいない
  • 母は祖父の介護のために実家へ住むことになった

結果、ワタシは実家で弟と二人暮らしに。

ところが半年後、弟は「兄貴(ワタシ)との生活が不自由すぎる」と言い出し、母のもとへ行くことに。

そりゃそうです!ワタシは弟の母ではありません。

面倒を見るつもりもありません。

こうしてワタシは、実家で一人暮らしという、まるで夢のような生活を手に入れました。

この時期に、洗濯、食器洗い、自炊といった基本的な家事を覚えました。

料理は、まずひとつのレシピをひたすら作り、覚えたら次へ…というルールで練習。

「一人暮らしをする」 という経験は、ワタシにとってとても楽しく、貴重なものになりました。

さいごに:自分の子育てにも影響していること

親の関わり方は、そのまま子育てに影響しています。

ワタシは「放任」の中にあった信頼や、交渉の余地のある環境を良かったと思っています。

そして、今の子育ての中でも、子どもを信じ、ある程度の自由を与えつつ、大事な習慣はきちんと守らせる——そんなバランスを取ろうと心がけ、日々頑張っています。

当たり前だと思っていたことも、実は大きな影響を与えてくれていた。

改めて、自分が親の立場になって気づく、大変さや思いなどがわかります。まさに『親の心子知らず』です。

娘たちにも、もし親になった際には、こうして感謝してもらえるように、こうした感謝の気持ちを持ってもらえるような育て方をしていきたいです。