船が沈みかけています
なので乗客には海に飛び込んでもらわないといけません。ですが人々は中々飛び込んでくれません。そこで各国の乗客になんて声をかけて飛び込ませたか。
- アメリカ人:ここで飛べばヒーローです!
- イギリス人:紳士はこういう時飛び込むものです。
- ドイツ人:これは規則です。
- フランス人:決して飛び込まないでください。
- イタリア人:美女が飛び込みました。
- 日本人:みんな飛び込んでいます。
これは、各国の国民性を表したジョークです。日本人は「周りと同じであるか」を気にする国民性があると言われています。多くの人が「自分らしく生きたい」と思いながらも、つい「同調圧力」に流されてしまっている。
ワタシも、その圧力を感じています。だが、それに負けずに「自分らしさ」を大事にしながら、楽しく生きています。
今回は、そんなお話です。
自分らしく楽しく生きる
自分らしくとは、『自分が本当にやりたいこと、好きなことを大事』にする事だと思います。
ですが、SNSを見ていても、少し周りと違うだけで指摘されたり、批判されたりすることがあります。そうなると、最初は 「自分がこうしたい」 と思っていた行動も、いつの間にか 「周りがこうしているから」 に変わってしまい、本当にやりたいことではなくなってしまう。
ワタシは、法律や社会のルールを著しく外れていなければ、それでいい と思っています。「みんなと違う=悪いこと」ではない し、むしろ「みんなと違ってもいい」と思うことが大切です。
もちろん、周りとうまくやっていくことも大事です。でも、時には 「嫌われることを恐れない勇気」 も必要ではないでしょうか?
嫌われるのが怖くて、無理に周りに合わせる。それはもはや 「自分」ではなく「他人」です。
せっかくの一度きりの人生なので周りに振り回されず、自分の人生を自分らしく楽しく生きたいです。
日本社会に根付く「同調圧力」
日本では、まず学校で「集団行動」を学びます。時間で管理され、みんな同じ授業を受け、決められたルールのもとで生活する。勉強ができなかったり、集団行動を乱すと、先生から「修正」されます。
ワタシは運動が苦手で、勉強も特別できるわけではありませんでした。そんなワタシの目には、周りの才能がまぶしく映っていました。
- 「運動ができるヤンキー」
- 「真面目で勉強ができる生徒会役員」
- 「すべてをこなせるイケメン」
ワタシには眩しすぎて、彼らの輝きで消滅しそうでした。でも、特に妬むような感情はなく、ただ「すごいな」と思いながら、劣等感を抱えたまま学校生活を送っていました。
そして、社会に出ても状況は変わりません。「ただ仕事ができればいい」というわけではない。
たとえば、みんなが残業していれば、帰りづらい。みんなが飲み会に行けば、断りづらい。
ワタシは「仕事時間は全力でやり、定時に帰る」というスタンスです。でも、定時になっても周りはダラダラと残業している。
ワタシの仕事は終わっているので、「手伝いますか?」と声をかけるか、「お疲れ様でした」と帰るか。周りから「先に帰っていいよ」と言われれば楽ですが、そんなことはありません。
飲み会も同じです。ワタシはお酒を楽しめないし、コミュニケーションも得意ではない。だから、飲み会はただただ苦痛です。行きたい飲み会なんて、一つもありません。
でも、社会に出ると「そうはいかない」。
「みんながやっているから」 という理由だけで、参加しなければならない場面がたくさんある。
気づけば、学校と同じように「周りに合わせること」が求められる世界。日本社会には、そんな 「同調圧力」 が根付いているのだと感じます。
周りの目を気にし続ける人生の虚しさ
「嫌われたくない」「認めてもらいたい」 という思いから、つい周りに合わせてしまう。
ワタシも、なるべく嫌われないように気を遣いながら生きてきました。でも、どれだけ合わせても、嫌われるときは嫌われる。みんなに好かれるのも、ものすごく大変です。
「いい人」でいようとすればするほど、自分が自分でなくなっていく。
気づけば、自分の人生ではなく、「他人のための人生」。頑張っても報われるとは限らないし、評価だってコロコロ変わる。
ワタシは何をするにも、まず 「周りからどう見られるか」 を考えていました。そして、「よく見られないかもしれない」 と思うと、それを避けていました。
ワタシはバスケが好きで、部活もバスケ部でした。でも、試合にはほとんど出ませんでした。というより、自分から試合に出ることを拒否 していました。時には怪我をしたことに、したこともあります。
それは試合に出ても活躍できる自信がなかったから。
ほかにも、ある程度の注目を浴びる場面は、どれも苦手でした。なぜなら、みんなの期待に応えられるポテンシャルなんて、自分にはない と思っていたからです。
でも、ふと気づきます。
「こんな人生、本当に楽しいのだろうか?」
気づいたこと:『他人は自分にそこまで興味がない』
自分目線で見れば、自分の行動は目立つ。周りの視線が気になって仕方がない。
でも、実は 他人はそこまで自分を見ていない。
むしろ、きっと 「いたかどうかもわからない」 くらいの存在かもしれない。
そりゃそうです!ワタシだって他人に興味ありません…そう思うと、バカらしくなりました。
ワタシはいったい何のために、あんなに周りを気にしていたんだろう?
気にしすぎたせいで、ものすごくムダな時間を過ごしてしまった気がします。
もう、どうでもいい。
人は勝手に評価するし、全員に好かれるのは不可能。
だったら、「やりたいことをやったほうがいい」ですよね。
「嫌われる勇気」を持つと楽になる
嫌われたくないと思うから、自分でなくなる。ならば嫌われても良いと思えば自分らしくいられる。
理屈は簡単ですが、そうはいかない。
ずっと「嫌われないように」と生きてきたから、それを急に変えるのは難しいと思っていたが、でも結局は 気持ち次第。
「嫌われる勇気」 を持てばいいだけの話。
嫌だと思ったら断る。やりたいことはやる。それだけです。
そして、意外と 嫌われません。(…まぁ、もしかするとワタシが気づいていないだけかもしれませんが。笑)
でも、そんなことは どうでもいいんです。
もちろん、「無神経に振る舞え」ということではありません。
むしろ、前より人に好かれているとすら感じます。
きっと、無理に周りに合わせるのをやめたことで、自然と 「自分らしさ」 が出ているのかもしれません。
ワタシが学生時代、まぶしく感じていた彼ら。
彼らのように、ワタシ自身も、少しは輝けるようになったのかもしれません。
「自分の人生は自分のもの」と意識するだけで変わる
仕事では、定時内で全力で働き、手伝いもする。 でも、定時になったら「お先に失礼します」と帰ります。
飲み会も、なんとなく誘われたものは 「ちょっと気乗りしないですね〜ははっ(笑)」 と軽く断り、でも送別会など 「幹事さんの思いを感じたとき」 は参加します。
すべて自分の意思で参加しています。「せっかく参加するなら楽しもう」 という気持ちになるので楽しめます。
『自分の人生は自分のもの』という意識を持つだけで変わります。
かといって、積極的に何でも参加しているわけではなく…たまにです。
ワタシは、「たまに」くらいが、ちょうど楽しめるのだと思います。
さいごに
周りの目を気にして、嫌われないように、浮かないように、うまくやっていく。それも一つの生き方です。
でも、それを続けることで 「自分の人生が、自分のものではなくなってしまう」 なら、少し立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。
結局、自分の人生を生きるか、他人の人生を生きるかを決めるのは自分です。
もし、人生の最後の瞬間、ベッドの上で「もっと自分の人生を歩めばよかった」と後悔したとします。
そのとき、突然まばゆい光が降り注ぎ、神様が現れて 「もう一度、やり直すチャンスをあげよう」 と言われたら──
きっと迷わず、今度こそ「自分の人生を生きよう」と思うはずです。
自分が本当にやりたいことをやったほうがいい。無理に合わせることに時間を使うくらいなら、その時間をもっと楽しいことに使いたい。
『嫌われる勇気を持つ』ことで周りに流されすぎず、自分の人生を生きること。
これだけで、だいぶ楽です。
とはいえ、いきなりすべてを変えるのは難しいです。ワタシも、完全に吹っ切れたわけではありません。
妻には完全に『気にしないヤツ』として扱われていますが、実は一応、周りを気にしながら生きています。
せっかくの一度きりの人生。「みんなと同じだから」ではなく、「自分が楽しいから」 を基準に楽しく生きていきたいですね!